充実を求めて演技する看護師
人は一人でいる時以外、何らかの「役割」を期待されます。例えば、職場では「看護師」の役割を、家庭では「妻」や「母親」といったようにその場に則して求められる役割があります。看護師は一般に「感情労働」にも分類される仕事です。感情労働とは、たとえ無礼な相手の前であっても自分の感情を押し殺し、礼儀正しくサービスを行う仕事を指します。この感情労働にあたる仕事には、看護師などの医療職以外にもフライトアテンダントやホテルマン、秘書や電話オペレーターなどがあります。どの仕事もいわゆる「人と接する仕事」であり、精神的な負担の大きい仕事です。もし相手から怒鳴られたとしてもそれを受け止めて冷静に対応しなければなりません。つまり、これらの職業では自分に与えられた一定の役割を「演じる」ことが強く要求されるわけです。
看護師と同じく、感情労働の代表格として知られるホテルマンを続けているある方はこのようにおっしゃっています。
この仕事で大事なことは、「演ずる」ことです。フロントでお客様の前に立ったらそこは「ステージ(舞台)」なんです。だから、お客さんに普通に対応するときも、謝ったりするときでもそれは「演技」です。例えば舞台で悪役を演じている人がいても、その人が本当に悪い人なのではなく、あくまでそれは「演技」としての悪役です。だから、内心あかんべえをしながらでも、表向きは演技として「申し訳ございません」なんてホテルマンの演技をしているんです。そうすればずいぶん気が楽ですし、客観的に自分を見ることもできます。
看護師が「演じる」などと言うと患者さんを欺いているように思うかもしれませんが、決してそうではありません。この方がおっしゃっているように、病院という場で看護師の役割を「演じる」ことは患者や医師からも要求されています。特に看護師やホテルマンのように人と接する仕事では相手からの印象は大切です。ある程度素を見せることはあっても、「ホテルマンらしからぬホテルマン」や「看護師らしくない看護師」がいたら相手はどう思うでしょうか?「看護師」という役割は「妻」や「母親」といった役割に比べると自分を抑えなくてはいけない度合いが強いだけでそれを「演じている」ことには変わりありません。
職場でも看護師という役割をあまり意識せず、いつも素の自分でいられれば簡単ですが、実際の仕事上では理不尽に思うことや、腹の立つこともたくさんあります。そのたびにまともに怒ったり泣いたりしていてはとても身が持ちません。仕事中だからといって常に看護師を「演じている」必要もありませんが、自分が「演じている」ことを意識すれば気持ちにも余裕ができ、少しでも充実に近づけるのではないでしょうか。